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1900.03.1 Thu

Historyウッドフォードリザーブ蒸溜所の歴史

Woodford Reserve

アメリカ合衆国の国指定歴史建造物に登録されているウッドフォード・リザーブ蒸溜所。1812年、ここで上質なバーボンづくりの技術が初めて行われました。バーボンの歴史は、ケンタッキーの歴史であり、アメリカの歴史でもあります。ここではウッドフォードリザーブが歩んできた歴史を振り返ります。

 
【1812年】
エライジャ・ペッパーが小さな蒸溜所を設立し、ウイスキーの蒸溜を開始。事業は息子のオスカー・ペッパーが継承。

【1833年】
サワーマッシュ製法を確立させた熟練の蒸溜職人 ジェームズ・クロウを雇い、近代的な科学技術を導入。ジェームズ・クロウとは、後にアメリカで人気を博したバーボンブランド「オールド・クロウ」の創業者。

【1838年】
オールド・オスカー・ペッパー蒸溜所と命名。

【1865年】
オスカー・ペッパーが死去。息子のジェームス・ペッパーが事業を継承。

【1870年】
蒸溜所はエドモンド・テーラーに売却され、さらなる近代的蒸溜技術が導入された。エドモンド・テーラーとは、オールド・テーラー蒸溜所の創業者で、ケンタッキー州で複数の蒸溜所を所有していた実業家。

【1878年】
蒸溜所はジェームス・グラハムによって買収され、その後フランス人のワイン商 レオポルド・ラブローに権利の半分を売却。蒸溜所名はラブロー&グラハム(L&G)に改名。

【1917年】
ケンタッキー州が州全体の禁酒法を制定。その煽りを受けラブロー&グラハム蒸溜所は閉鎖。

【1934年】
禁酒法撤廃後、操業を再開。

【1941年】
ブラウンフォーマン社が買収。第二次世界大戦以降、閉鎖・操業再開を繰り返す。ブラウンフォーマン社も蒸溜所を一旦売却し、長年にわたる閉鎖を強いられる。

【1994年】
ブラウンフォーマン社による再興が決定。

【1996年】
9月に蒸溜を再開。

【2003年】
ウッドフォードリザーブと蒸溜所名を改名し、現在に至る。
 


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