BAR TIMES

2016.11.21 Mon

たまさぶろのBAR遊記本場スコットランド蒸留所探訪
3.【オルトモア編と樽工場】

たまさぶろ 元CNN 、BAR評論家、エッセイスト

スコットランドでは、5人に1人がなんらかの形でウイスキー産業に従事していると言われている。ウイスキーは、スコットランドにとって、それだけの一大産業だ。


「命の水」を絞り出す蒸留所ばかりに焦点が当たるものの、熟成に使用する樽はウイスキー造りに欠かすことのできない最重要ポイント。何しろ蒸留されたウイスキーを熟成の為に、樽に入れ保管しなければ、ウイスキー特有のあの琥珀色を纏うことはない。樽に入れた原酒が、その中で呼吸し樽と会話する中で、琥珀色の輝きをもたらす。樽熟成がなければ、ウイスキーは無色透明、あの万人を魅了する香りもない。
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スコットランドの「スペイサイド・クーパリッジ」樽工場


スコットランドに蒸留所は100以上あるとされるが、その樽を作る場は8か所しか存在しないという。スコッチ・ウイスキーの名所「スペイサイド」には、一般客に公開されている「樽工場」(クーパレッジ)があるので、足を延ばした。

「スペイサイド・クーパレッジ」は、クライゲラキ蒸留所のある通りをそのまま南東に500メートルばかり進んだ付近に位置している。一般向けに公開されている…と表現するよりも、樽工場に見学者向けの施設を設えたとしたほうが正解だろう。ビジター・センターと土産物屋があり、全体を説明する上映施設から通路を上ると、作業現場全体を見渡すことができるガラス張りの通路に出ることができ、ここで係からの説明に耳を傾けながら、実際に手作業を見守る。

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奥が新米職人、手前は熟練職人 著しく手際がよい

樽工場の表には、樽に関する様々な歴史的用途について列挙されている。ジョージ・スティーブンソンが生んだ蒸気機関車「ロケット号」の主要部分に樽が採用された事実や、初めてのバキューム機関は樽あってこそ発明された点、英海軍のネルソン提督が1805年にトラファルガー海戦で亡くなった際、その遺体がブランデー樽で運ばれた逸話、そして、その樽が英国に着いた際には中のブランデーがなくなっていた不思議…などについて触れられたレリーフが飾られていた。樽についての自負と思い入れがわかる。

見学者から眺めたフロア全体は「三」の文字のように作業場が見渡せる。見学者から一番手前が熟練工たち。一番遠い奥が、まだひよっこの弟子たち。鍛錬を積んだ後、こちらで実地の試験が行われ、一人前と認められると、徐々に手前の作業場に移ることになる。昔の職人の徒弟制度のようなものが、純然と守られている。

使用された樽を手作業で枠組みし、作業場の左奥、見学者の見えない場所で、チャー(樽の中を火で焼き焦がすこと)し直し、さらに手作業で樽にフタがなされ、バンドで締められる。その後、機械によりバンドの締め直しが行われ、検品すると完成だ。

樽のフタ、両端の部分を色分けすることで、その樽が何度使用されているかを判別する。その為、組み直す際は常にフタの部分を組み直す必要がある。バーコードを付与したり、フタに書き込み、刻印をほどこす管理方法もあろうが、色分けによる識別方法は、こうしたハンドメイドにしっくり来る。


それにしても、これだけの手仕事を一日9時間、昼休み1時間を挟むだけで黙々とこなして行く作業は、屈強なスコットランド男でなければ、根を上げそうな過酷な体力仕事に思える。これほど気合いの入った樽により熟成がなされるだけに、美味いスコッチが生み出されるに決まっている。

「スペイサイド・クーパレッジ」から北東に10キロほど行った街にオルトモア蒸留所がある。こちらも「スペイサイド地区」として知られるが、今回世話になったドライバーに言わせると、「そもそもスペイ川から離れたオルトモアをスペイサイドと呼ぶかどうかは疑問なんだが…」という個人的意見もあった。

オルトモア蒸留所は1897年、アレクサンダー・エドワードによりフォギー・モス(霧が深い湿地)と呼ばれるエリアに設立された。「Aultmore」とはゲール語「An t-Allt Mor」から派生したとされる。「An t-Allt Mor」は英語で「big burn」の意味とされる。「burn」は古い英語で「small stream」とされる。つまり「big small stream」となり「大きな小川」と日本語訳する説が有力。スコットランド人とは、形容矛盾が好きなのだろうか。

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自然豊かなスコットランドを感じさせるロケーション
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オルトモア蒸留所 左の窓の中に蒸留器が4機並んでいる
この名称は水源のひとつとされるオーヒンドラン(Auchinderran)川に由来するとされるが、そもそもオルトモアに接するすぐ北側は、オーヒンドランと呼ばれる土地。へそ曲がりな私は「ややこしい名称で呼ぶくらいなら、オーヒンドランのままで良かったのでは?」と考え込んでしまう。なお、冷却にはライジス川の水を使用している。

近隣はしばしば濃霧で周囲が見えなくなる幻想的な土地柄と聞き及んでいたが、私が足を運んだ際は、残念ながら(?)美しい晴天。霧の気配はまったくなく、またも青空の下、オルトモアを試飲した。


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本蒸留所を長年支えてきた蒸気機関 現在は二階に展示されている


水源豊富なためか、もともと植物がうっそうと自生、かつては遠くから確認することができず、本蒸留所が建てられる前も密造が盛んだったという。

創業時は水車を利用していたが、1898年に蒸気機関を導入。1970年代の大規模拡張まで70年余に渡り活躍した。現在も蒸留所の二階に歴史的資料として展示されている。なお拡張の際、ポットスティルも2機から4機へと増設され、これまでに解説して来た他蒸留所同様「ウォータールー・ストリート」スタイルとなった。初留釜はそれぞれ1万6400リットル、再留釜はそれぞれ1万5000リットルの容量。現在、糖化に使用するマッシュタンは容量10トンのステンレス製、しかし発酵にはカラ松製の6つの木桶を使用している。

2008年にはさらなる改修が実施され「蒸留所見学」という観点からすると、少々味気ない現代的な工場へと変身。それにも関わらず、カラ松製の木桶が残されている点に、蒸留所の発酵についての思い入れを知る。浸麦→発芽→乾燥の製麦(モルティング)も1968年までここで行われていた。1996年以降は熟成もグラスゴーなど「ローランド」で一括して行われている。

年間320万リットルを生産するが、こちらもその生産量のほとんどがブレンド・ウイスキーに活用されているため、モルト・ウイスキーとしての稀少価値は高い。ピートを使用しないモルトによって創り出されるフレッシュでドライなフィニッシュが楽しめるバランスのとれた味わいにより、知る人ぞ知る完成度の高いシングルモルトのひとつとされる。

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評論家・吉村氏も勧める逸品 いつまで手に入るかは…。

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ザ・デヴェロンも中々だが、オルトモア25年(右)にはさらに唸る
著作「うまいウイスキーの科学」でも知られるウイスキー評論家の吉村宗之さんも「玉石混交なスペイサイド地方の蒸留所の中では、間違いなく『玉』だと言えますね」と評価。

それだけの評価を得ながら1996年までは一度もモルト・ウイスキーとしてボトルで出回ることはなく、2004年にはオルトモア12年が初めてオフィシャルにリリースされた。日本においては2016年、デザインも一新された12年の他、18年と25年が追加された。いずれにせよ、稀少性が高いゆえに、手に入れるなら今のうちだ。

 


 

たまさぶろ
元CNN 、BAR評論家、エッセイスト
立教大学文学部英米文学科卒。週刊誌、音楽雑誌編集者などを経て渡米。ニューヨーク大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。CNN本社にてChief Director of Sportsとして勤務。帰国後、毎日新聞とマイクロソフトの協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」をプロデュース。日本で初めて既存メディアとウェブメディアの融合を成功させる。これまでに訪れたバーは日本だけで1000軒超。2015年6月、女性バーテンダー讃歌・書籍『麗しきバーテンダーたち』上梓。米同時多発テロ事件以前のニューヨークを題材とした新作エッセイ『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在』、好評発売中。
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