BAR TIMES

2016.05.16 Mon

My Lost New Yorkよりニューヨーク、行きつけのBARたち
その2

たまさぶろ 元CNN 、BAR評論家、エッセイスト

9・11…米同時多発テロから15年、BAR評論家が20世紀末の失われたニューヨークを語る。

2001年9月12日、ワールド・トレード・センター倒壊後の粉塵舞うマンハッタンに戻った。90年代にジャーナリストをめざし、多彩な国の人々と酒を酌み交わし、レイ・ブラッベリらの作家たちとの交流、熱き日々を送った街に…。

最新BAR事情ほかゲイ文化への考察など生のニューヨークを伝える渾身作。

この度、書籍『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる9・11前夜と現在(いま)』の2月14日発売を記念し、当該書籍から転載とした。

 


 

グランド・セントラル・ステーションについては多くのガイドブックに記述があるので割愛する。ちなみに「グラセン」はニューヨークの日本人社会で使用される略称。私個人は大嫌いな呼称だが、ここでは便利なので便宜上使用する。

ここでひとつ、この駅が地下部分が何階建てなのか明確ではないという都市伝説を紹介する。何しろ「地下二階」とする説から「地下十五階」と唱える関係者までいると言う。

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ご存じ「ウォルドルフ・アストリア」

これは一八三○年代にはすでに車庫として建てられた土地に、一八七一年には瀟洒な初代駅舎に増築。一九一三年に完成した現在の駅舎も三十年代まで増築が続いたため、地下に廃線も残されているなど、全容を把握するのが難しいのだと言う。シークレット・エージェントが使うため、前述のアストリア・ホテルまで地下道が続いているとの説もあり、まだまだ知るに至らぬグラセンの秘密があるようだ。

グラセンの駅舎もペン駅同様駅舎取り壊しの危機に瀕したが、ジャクリーン・ケネディ・オナシス(ケネディ大統領夫人、のちに海運王オナシスと結婚)を中心とした反対運動が功を奏し、現在の壮麗な駅舎を拝むことができる。

「カーネギー」がオーセンティックなラウンジだとすると、「レキシントン」はややカジュアルで、フロアスペースもこぢんまりとしていた。雰囲気としては、アッパーウエストに位置していても不思議ではない気安さが好きだった。カーネギーは、カウンター以外はソファ席だが、レキシントンはハイチェアのBARであると説明すると、その差がおわかりになるだろう。

カーネギーでは、カクテルの出来栄えが好みだったこともあり、ギムレットやらマティーニやら、たらふく呑んだものだったが、レキシントンでは、スコッチかバーボンを中心にオーダーしていた。おそらく、それだけ品揃えが豊富だったのだろう。

このBARには、フランチェスカ(Francesca)という、韓国系ハーフのホールスタッフがおり、彼女が絵に描いたような私の好みで、それだけで通っていたような気がしないでもない。実は、個展用のポートレートも撮らせてもらったのだが、何度探しても、この作品が手元に残っていない。無念。

いくつになっても、酒と女性の話ばかりで恐縮だが、人の真性は変えようがないので、ご理解頂きたい。

Lexington Bar & Books
1020 Lexington Avenue
212-717-3902

「ビークマン」は、特にジャズバンドを入れていたので、ジャズとシガーの組み合わせが恋しくなった時、一番街まで足を延ばしていた。バー・アンド・ブックスは、シガー・バーでもあったので、ここまで足を伸ばすと調子に乗ってシガーを燻らせた。オーダーすると、ホールスタッフが跪いて火を灯してくれるのは、過剰演出だったが…。

ニューヨークのBARで日本人駐在員を見かけるのは極めて稀だったが、ロケーションのせいか、一番街では日本人客を見かけることが多かった。ビークマンは、駐在員が住むであろう場所に近かったゆえか。それとも、彼らが馴染みの東五十丁目近辺の「ピアノバー(要はキャバクラである)」と呼ばれる店から近かったからだろうか。

Beekman Bar & Books
889 First Ave.
212-758-6600

数多の映画の舞台にもなったプラザホテル(The Plaza Hotel)は一九〇七年創業の老舗。昨今の不景気から投資の対象らしく、現在ではホテルではなく、高級マンションを兼ねている。歴史的建造物に指定されているこのホテルのセントラルパーク・サウス(Central Park South)沿いに入口がある「オークルーム・アンド・バー(The Oak Room & Bar)」は、いまだに健在だ。

このBARはあまりにも有名がゆえ、いまやどのガイドブックにも記載されないほど。実際、八九年に発行された「Shecky’s Bar, Club & Lounge Guide」には、「古臭く退屈で観光客向けのBARは、過大評価され、価格も高い」と酷評されている。高級マンションとして生まれ変わった今、若干の改装がされたようだが、その雰囲気は変わり映えしない。

一九四五年まで証券会社の事務所だったというスペースには、その名の通りオーク材が多用され、日本人の私からすると、オーセンティックなBARの雰囲気を強く醸し出している。

頻繁に足を運んでいた九十年代半ばは、まだ女性客が独りで立ち入るのを禁じられていたと記憶している。カクテルも「美味い」とうなるほどではなかったのは確かだが、ケチをつけるほど粗悪だったとは覚えもない。価格も十ドル程度。ホテルのBARであることを考えれば、目くじらを立てるほど高額ではなし、観光客が多いのは当たり前だ。

私が足を運ぶような夜中近くには、ニューヨークのビジネスマンが煙を勢いよく吐きながら、大声で仕事の愚痴を垂れグラスを空ける……そんな雰囲気に溢れていた。私自身へべれけになりながら、とてもプラザホテルから出て来た客とは思えない千鳥足で、イエローキャブを捕まえ、帰路に着いたのも一度や二度ではなかった…。

The Oak Room & Bar
At Plaza Hotel
768 5th Ave,
212-759-3000

同じ並びに、一九三一年創業のホテル「エセックスハウス(Essex House)」がある。八四年に日航が買収。私の滞米中は「ニッコー・エセックスハウス(Nikko Essex House)」と名乗っていた。この一階に「バー・ジャーニーズ(Bar Journey’s)」があり、カーネギーのバー・アンド・ブックスと同様に頻繁に通った。パークサウスのホテル入口からはかなり奥まっており、ロビーやエレベータ・ホールからも気付きづらく、一般客がなかなか利用しない点も隠れ家めいて、気に入っていた。日系ホテルだったにもかかわらず、バーテンダーは一貫して非日本人を起用していた。ここにも目当てに通っていたアーリア系の女性バーテンダーもいた。だが二〇〇〇年代前半、久々に立ち寄った際には、彼女が辞めた後だった。

しかしニューヨークでもこうして女性バーテンダーたちの逸話ばかりを記憶しているとなると、書籍『麗しきバーテンダーたち』が生まれる序章はすでにニューヨーク時代に発芽していたことを思い知らされる。

二〇〇五年にはアラブ系資本のジュメイラに買収され現在、ホテルのホームページからはメインバーが消えている。ホテルの移り変わりは、時代の変遷という波の前では致し方がない出来事だろうが、BARの存在意義を理解しない経営は、無粋だ。二〇一三年よりマリオット・ホテル・グループに加わり、生まれ変わった。ぜひハイクラスホテルらしいBARも敷設してもらいたい。

Essex House
160 Central Park South

同じくセントラルパーク・サウス沿いに位置するパーク・レーン・ホテル(Park Lane Hotel New York)は数年前まで、パークレーン・ヘルムズレー・ホテル(Park Lane Helmsley Hotel)と呼ばれていた。ここの二階にある「ハリーズ・ニューヨーク・バー(Harry’s New York Bar)」は、パリにある著名BARと同名である。私も初めは双方のBARになんらか関係性があるのかと思い込んでいたものだが、同名なのもまったく偶然によるらしい。

パリの一軒は、もともとTod Sloanというアメリカ人が、一九十一年にパリで出店した「ニューヨーク・バー(New York Bar)」が始まり。そこの雇われバーテンダーだったHarry MacElhoneというスコットランド人が二十三年にBARを買い取り、自らの名を冠してハリーズ・ニューヨーク・バー(Harry’s New York Bar)となった。ここにはアーネスト・ヘミングウェイ、ココ・シャネル、ハンフリー・ボガートが通ったことでも知られ、「ブラディ・メアリー」、「サイドカー」、「フレンチ75」などのスタンダード・カクテルを生み出したとされている。
一方、ニューヨークのハリーズ・ニューヨーク・バーは、ハリー・ヘルムズレ―(Harry Helmsley)というホテルのオーナーであり、当時の不動産王の名を冠したBARである。一九九七年に亡くなったヘルムズレーは、ドナルド・トランプどころではない不動産王。エンパイア・ステート・ビルが彼の持ち物だったと言えば、その規模が判るというものだ。 

セントラルパークサウスの通りだけでも、このBARのあるパークレーンのほか、サンモリッツも保有していた。マジソン街(Madison Ave)にあるニューヨーク・パレス・ホテル(New York Palace Hotel)も元は「ヘルムズレー・パレス(The Helmsley Palace)」と名乗っていた。
ニューヨークのハリーズ・バーは、パリのBARと同名であるという点だけで、私を感傷的にさせた。セントラルパーク沿いの二階にあるウッディな雰囲気の良いBARの片隅で、マティーニを啜りながら、クダを巻いていると、自分がヘミングウェイのエッセンスのお零れにでも預かれるような気分になった。ニューヨークのBARとしては、珍しく友人・知人と討論などしたものだった。

ホテルは二〇〇八年に改装され、すっかり真新しい雰囲気をまとっているが、このBARだけは、やや古いアメリカの匂いを感じさせるまま。ホテル創業前には、このあたりにスコット、ゼルダのフィッツジェラルド夫妻が居を構えていたというエピソードも気に入っている。

Harry’s New York Bar
At The Helmsley Park Lane Hotel
36 Central Park South
212 371 4000

Harry’s New York Bar (Paris, France)
5 Rue Daunou
75002 Paris
33 1 42 61 71 14

次にウォルドルフ・アストリア(The Waldorf-Astoria)に存在するBAR三店を紹介する。ウオルドフ・アストリア・ホテルは、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ギャング・オブ・ニューヨーク(Gangs of New York)』(二〇〇二年公開)で描かれた時代から巨万の富を築き上げてきた「アスター家」により成されたホテル。一八九三年に、ウィリアム・ウォルドルフ・アスター(William Waldorf Astor)が現在のエンパイア・ステート・ビルディングの地に建てたのが始まり。一九三一年に現在地に移転。昭和天皇が洋行の際に宿泊され、アイゼンハワー大統領やマッカーサーが住んでいたことでも知られている。

映画『ゴッドファーザー(The Godfather)』(一九七二年)シリーズにも登場、最近では、ジェニファー・ロペス主演、メイド役を務めた『メイド・イン・マンハッタン(Maid in Manhattan)』(二〇〇二年)の舞台としても使われている。ニューヨークの帝国ホテルと例えれば判りやすいだろう。

The Waldorf-Astoria
301 Park Ave
212-355-3000

そんな高級ホテルの中で、もっとも頻繁に活用したのは「カクテルテラス・パークアベニューロビー(Overlooking Park Avenue Lobby)」。パーク街からホテルに入り、階段を駆け上がり振り返ったエリアに広がるカジュアルなラウンジで、特にこのホテルに宿泊していた来客との待ち合わせに使用した。また、この界隈でゆったりと時間を使いたい打ち合わせなどにも立ち寄ったものだ。早い時間からのんびりできるので、休日の午後のカクテルタイムにもお勧めだった。残念ながら二〇一五年に訪れると、本ラウンジどころかすべての調度品が撤去され、まっさらなフロアにされてしまっていた。

NY記事内2
「Sir Harry Hamilton Johnston 」にちなんで命名

気に入っていたのは、「サー・ハリーズ(Sir Harry’s)」。イギリスの探検家「Sir Harry Hamilton Johnston 」にちなんで命名されたBAR(それにしても、BAR業界では「ハリー」は人気者だな)。彼は、ヨーロッパ人として、スタンリーに続きコンゴ川流域に到達した探検家で、後にイギリスのアフリカ領総督となる。キリマンジャロ探検でも名を残している。

鏡張りのバックバーを持つ、小洒落たホテルのBARとアフリカ探検は、どうにも結びつかないのであるが、ホテルロビーのちょっと脇に位置しており、ホテル内でどっかりと腰を落ち着けて呑むにも適していた。カクテル「ロブ・ロイ」が生み出されたことで有名。やはり、そのスタンダード・カクテルが生まれたとされるBARでその一杯にありつくのは、感慨深いものでもある。

ホテルとしては、ウオルドフ・サンセット(Waldorf Sunset)というオリジナル・カクテルも「スタンダード」と主張しているのだが、Jerry Thomasの「The bartender’s Guide」に記述もなく、マイケル・ジャクソンの「Pocket Bar Book」にも記述がない。
海外のバーテンダー氏にメールで訊ねたところ「1 1/2 oz premium gin > 3 oz orange juice > 1/2 oz creme de cacao > 3- 4 drops grenadine > Maraschino cherry garnish- cheers!」と返事があった。しかし、これが正確かどうか、確認できずにいる。

Sir Harry’s Bar: 212-872-4890

NY記事内3

マホガニーのバーカウンターが魅力的な「ブル・アンド・ベア(bull and bear)」も有名な一軒。ニューヨーク・タイムズ紙が「世界の三大BARのひとつ」と評したこともある。Bull & bearは株式市場用語で、bullが右肩上がり、bearが右肩下がりを指す。フランクフルト証券取引所の前にはbullとbearの銅像があるくらいだ。マーケット業界の客が多いため、私個人としては、なんとなく居心地のよくないBARでもあった。しかし、ここのマティーニは、ニューヨークで一番のマティーニと謳われるので、興味がある方は、ぜひ大容量のニューヨーク・サイズのグラスでサーブされるマティーニをお試しあれ。この一杯の後に、市場の動向を考えるなど、私には土台無理な話だ。

Bull and Bear Bar: 212-872-4900

※本稿は、書籍発行前の草稿。

 


 

たまさぶろ
元CNN 、BAR評論家、エッセイスト
立教大学文学部英米文学科卒。週刊誌、音楽雑誌編集者などを経て渡米。ニューヨーク大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。CNN本社にてChief Director of Sportsとして勤務。帰国後、毎日新聞とマイクロソフトの協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」をプロデュース。日本で初めて既存メディアとウェブメディアの融合を成功させる。これまでに訪れたバーは日本だけで1000軒超。2015年6月、女性バーテンダー讃歌・書籍『麗しきバーテンダーたち』上梓。米同時多発テロ事件以前のニューヨークを題材としたエッセイ『My Lost New York』、2016年1月発売予定。
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https://twitter.com/tamasaburau
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official site たまさぶろの人生遊記
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mylostnewyork記事内書籍『My Lost New York』


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