BAR TIMES

2016.03.29 Tue

My Lost New Yorkよりニューヨーク、行きつけのBARたち
その1

たまさぶろ 元CNN 、BAR評論家、エッセイスト

9・11…米同時多発テロから15年、BAR評論家が20世紀末の失われたニューヨークを語る。

2001年9月12日、ワールド・トレード・センター倒壊後の粉塵舞うマンハッタンに戻った。90年代にジャーナリストをめざし、多彩な国の人々と酒を酌み交わし、レイ・ブラッベリらの作家たちとの交流、熱き日々を送った街に…。

最新BAR事情ほかゲイ文化への考察など生のニューヨークを伝える渾身作。

この度、書籍『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる9・11前夜と現在(いま)』の2月14日発売を記念し、当該書籍から転載とした。

 


 

私のペンネームから、このエッセイにたどり着いた読者は、いつになったらBARの話題になるのかとやきもきしていたかもしれない。

残念なことに、ニューヨーク時代のスクラップブックと日記の類は、あまりの重さに帰国前にすべて破棄してしまった。手元にマンハッタンのバス路線図に場所だけを書き込んだ「グルメ・ガイド」というメモがある。これを基に、記憶に残るままに披露したい。日本で出版されているガイドブックでも、「BAR」という項目には、驚くほどページが割かれていないのは残念だ。

最初に通い始めたのは、コロンビア大学近くのパブ「The West End Cafe」だ。一九一一年創業のBARはビートジェネレーション作家やポール・オースターらコロンビア大学に所縁のある文豪が通ったとされ、当時、私もまだ二十代後半で、とにかく学生気分で呑み倒していた。歴史ある著名店だったので、不滅かと思いこんでいたが、二〇〇六年、「Havana Central」というカリブ料理のチェーンに売却された。しかし、店名に「Havana Central at West End」と付け、以前のパブへの敬意が見られた。二○一四年には、「Bernheim & Schwartz Restaurant and Hall」と変わり、自家醸造のビール十種類を提供していると言う。

それにしても歴史的、文化遺産的なBARがニューヨークから消滅してしまったのは残念至極だ。

Bernheim & Schwartz Restaurant and Hall
2911 Broadway, New York
212-335-2911

 

私が、今も酔って披露するエピソードのひとつが、西七十丁目付近のフレンチだかイタリアンだかのウエイティング・バーでのワンシーン。その店名は不明のままだ。
大学で知り合ったアメリカ人女性と、初めてデートをした。もちろん、それなりに発奮した。そして、相応のレストランに足を運び、ウエイティング・バーに着いた。
初めてのアメリカ人女性とのデートである。そして、場所はニューヨーク。ここでオーダーするカクテルは「マンハッタン」しかないと思われた。オーダーを取りに来た、瀟洒なバーテンダーベストを身に着けた女性に告げた。「彼女には○○、僕にはマンハッタン」。バーテンダー女史は一瞬怪訝そうな表情を見せ「OK」と答えた。

そのままバックドアから一度姿を消すと、小脇に本を抱えて戻って来た。私の目の前で、その本を開き、いくつかページをめくると「あ、あった、あった、これね、マンハッタン」。ウインクしてみせた。シェイカーでしゃかしゃかと振り、ショートグラスにさっと注ぎ「さぁ、どうぞ」と勧めた。彼女は身じろぎもせず、私を眺めている。動揺を悟られずに、グラスに口をつけると、彼女は「どう?」と催促した。「うん、OKだよ」というようなことを答えた。彼女は「良かった。初めて作ったの」と悪びれずに満面の笑みを残した。

この出来事は、あまりにも象徴的に過ぎ、そのデートで何が起こったのかを、ほとんど記憶していない。ただそのシーンだけは、匂いから味覚まで鮮明に記憶している。

カクテル好きの方はお判りだろうが、マンハッタンはシェイクではなくステアで作るバーボンをベースとした「カクテルの女王」。ニューヨーク発祥とされるこのカクテルを考案したのは、英チャーチル首相の母、ジャネット・ジェロームという説が有力だ。

日本人の私にとって、アメリカはカクテル先進国…のはずだった。ニューヨークならなおさらだ。だが異文化の洗礼は、こうした思いもせぬ形で訪れるという典型例だろう。しかも悪い形の。
以降ずいぶんとあちらこちらの、BARやらカフェやらパブで呑んだものだ。

もっとも頻繁に通ったのは「バー・アンド・ブックス(Bar & Books)」。マーク・グロシッチ(Mark C. Grossich)氏とそのパートナーが共同経営していたマンハッタンにあるチェーン。その名の通り、どの店舗も書斎でゆっくりと呑むような雰囲気を持っていた。
中でも気に入っていたのは、音楽の殿堂として知られるカーネギー・ホールの裏手、五十六丁目を七番街から入った右手にあった「カーネギー・バー・アンド・ブックス(Carnegie Bar & Books)」。アッパーイースト七十三丁目のレキシントン街(Lexington Avenue)沿いにあった「レキシントン・バー・アンド・ブックス(Lexington Bar & Books)」。そして 一番街と五十丁目の角に位置する「ビークマン・バー・アンド・ブックス(Beekman Bar & Books)」だ。幸い、後二者は今でも営業しているが、カーネギーは経営も変わりつつもバー・ラウンジとしては営業していたが、二〇一五年に訪れると閉店した後だった。

カーネギーには、タラ(Tara)というハーフの女性バーテンダーがいた。「タラ」はアイルランドの聖地の名。日本に例えると「伊勢」のようなものか。名前を聞いただけで、彼女がアイリッシュ系アメリカ人と日本人のハーフだと判る。日系だから……という理由だけで安心感を抱き通ったのは、やはりルーツだからか。

通りから眺めただけで、ガラス張りの店構えとそのライティングの具合から、そこがオーセンティックなBARかラウンジであることは一目瞭然だった。入口を入ると左手に十席ばかりのカウンター、窓際はテーブル席、残された二面とロフト状になった二階席はソファ席になっていた。
このBARを訪れると、必ずタラが「一杯分は店のおごり」と言ってオーダーを取りに来てくれていた。この意図を、長い間、いくばくかの同族意識を持つタラが、特別、私にだけふるまってくれているのだと勘違いをしていた。だが、常連客に対して、「三杯目はBARが持つ」という暗黙のルールが、ニューヨークのBARにあることを最近知った。少し私に惚れているのではないかという勝手な思い込みもあっただけに、あまりにも残念至極な事実だ。

後年、屋号も経営も変わった後に訪れた際、BARのスタッフにタラの行方を訊ねたところ、グランド・セントラル・ステーション(以下、グラセン)の九八年の改修にともない新しくなった「キャンベル・アパートメント・バイ・バー・アンド・ブックス(Campbell Apartment By Bar and Books)」というカクテルラウンジのチーフになったという。滞在時いつも訪ねてみようかと考えたのだが、有楽町の「帝劇」裏手の瀟洒なBARから、喧騒にまみれた新宿駅構内に設けられたラウンジに足を延ばすような感覚の違いがあり、どうにもピンと来ず、長年、彼女を訪ねず終いだった。

しかし今回、五年ぶりにグラセンに足を運ぶと、このバー・アンド・ブックスとの提携を解消したらしく、無念タラは永遠に行方不明となってしまった。

Carnegie Bar & Books
186 West 56th St,付近

Campbell Apartment
Grand Central Terminal,
15 Vanderbilt Ave
212-953-0409

※書籍『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる9・11前夜と現在(いま)』より転載。各情報は出版時のもの。

 


 

たまさぶろ
元CNN 、BAR評論家、エッセイスト
立教大学文学部英米文学科卒。週刊誌、音楽雑誌編集者などを経て渡米。ニューヨーク大学にてジャーナリズム、創作を学ぶ。CNN本社にてChief Director of Sportsとして勤務。帰国後、毎日新聞とマイクロソフトの協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」をプロデュース。日本で初めて既存メディアとウェブメディアの融合を成功させる。これまでに訪れたバーは日本だけで1000軒超。2015年6月、女性バーテンダー讃歌・書籍『麗しきバーテンダーたち』上梓。米同時多発テロ事件以前のニューヨークを題材としたエッセイ『My Lost New York』、2016年1月発売予定。
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