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バーをこよなく愛すバーファンのための WEB マガジン

2019.06.11 Tue

コラム:カフェバー ハリー第4話「バイオリンの音色が響く夜」

文:いしかわあさこ

【あらすじ】
まもなく二十歳を迎える専門学校生のジュンは、「カフェバー ハリー」を営む夫婦のひとり娘。高校時代から店を手伝っているが、両親の仕事にさほど興味はない。ところが、二十歳を迎えた頃からぼんやりと将来を考え始め、店に訪れる人たちとの交流を通じて徐々に両親の仕事、お酒の世界の魅力に気づいていく。

第4話「バイオリンの音色が響く夜」

 あれは、昨年のことだった。毎年必ず年末に来店する60代くらいのご夫婦がいて、その日もカウンターに並んで座っていた。共に時々ひとりで来るので知ってはいたが、2人が揃うのを見たのはそれが初めてだった。シャンパンで乾杯した後に男性はサイドカー、女性はマンハッタンを頼み、ドライフルーツをつまみにしていた。
「今日も美味しいお食事されてきたんでしょう」
「北口に新しくオープンしたお店に行ってきたの」
 マグロや寒鰤といった単語が女性と母の間で飛び交う。近くの寿司屋で食事を済ませてから、うちの店へ流れてきたようだ。会話から、ご夫婦の結婚記念日だということがわかる。すぐ近くで飲んでいた女性が母に声をかけた。
「あの……宜しければ、一曲弾かせて頂けないでしょうか」
 母は驚いたような、嬉しいような顔をしながらご夫婦に確認した後、是非と答えた。そして、エドワード・エルガーの『愛の挨拶』が店内に響き渡った。
「ありがとうございます。今夜最後の一杯は、妻が好きなマティーニを飲もうかな」
「あら、嬉しいじゃない」
 女性は〆の一杯にマティーニをよく頼むが、男性は大抵ウイスキーであることを私も知っていた。するとさっき演奏した女性や、店内にいたほかのお客さんからもマティーニの注文が入った。

「長年連れ添ってくれて、ありがとう」
 男性がそう言うと、祝福の拍手が起こった。その頃には、全部で5杯注文されたマティーニがそれぞれの手に渡り、軽く持ち上げられ乾杯の役割を果たした。
 そんな出来事が一瞬で回想され、気づくとバイオリンを持った女性が目の前に立っていた。
「ジュンちゃん、ですよね? お誕生日とご両親から聞いていて。一曲、聴いて頂いていいですか?」
 既に曲はリクエストされていたようだった。ミニー・リパートンの『Lovin’ You』が心地よく耳に入ってくる。素敵だね、とその音色に友人たちも私も感動していたが、キッチンからカウンターに出てきた父と母が、優しい目でこちらを見ているのに気づくと涙が出そうになった。
 後で聞くと、演奏した女性はコンサートで各地をまわるバイオリニストだった。彼女がわざわざこの店に来るのは、きっと私の両親に会いたいからだろうと素直に思える夜だった。



いしかわあさこ
東京都出身。飲食業からウイスキー専門誌『Whisky World』の編集を経て、バーとカクテルの専門ライターに。現在は、世界のバーとカクテルトレンドを発信するWEBマガジン『DRINK PLANET』、酒育の会が発行する冊子『Liqul』などに寄稿。編・著書に『The Art of Advanced Cocktail 最先端カクテルの技術』『Standard Cocktails With a Twist~スタンダードカクテルの再構築~』(旭屋出版)『重鎮バーテンダーが紡ぐスタンダード・カクテル』(スタジオタッククリエイティブ)がある。愛犬の名前は、スコットランド・アイラ島の蒸留所が由来の“カリラ”。2019年4月、新刊『バーへ行こう』が発売。


第1話 「週6日の常連客」
第2話 「カウンターに立つ母」
第3話 「二十歳の誕生日」
第4話 「バイオリンの音色が響く夜」
第5話 「バーが繋ぐもの」
第6話 「たくさんの笑顔に囲まれて」

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